メンタル雑記

たまに目が3になる

課題図書

28歳には似合わないこのタイトル。ここ数年、私を悩ませているもの。

本を読むことは嫌いではないけど、好きでもない。嘘。結構嫌い。どんな本も140字ずつで区切って流れてきてくれたなら何のストレスもなく読めるだろうに、と思う。思い返せば、小学生の時の図書の時間も、手芸や料理の本ばかり借りて、あまりきちんと文章を読んでこなかった。高校に入学した時に、周りの子たちに自分にはない教養が備わっていて(特に皆が四字熟語や諺を当たり前のように知っていたのが当時の自分には恐怖だった)、「何でもっと本を読むように言ってくれんかったんよ!!」と理不尽に母を問い詰めたのは今でもよく覚えている。

あれから10年。これまでのツケを払うかのように、自宅の机には常に "課題図書" が積まれている。主に、同業の人が次から次と貸してくれるものと(勉強してという無言の圧)、BTSが読んだと話題になって買った母が読んだ後に送ってくれるものと、本好きな人からぜひ読んでと渡されるものと、ごく稀にやる気に満ちた瞬間の自分が衝動的に買ったもの。専門書が8割で、小説が2割くらい。家では "読む読む詐欺"(一章だけ読んで、その後数ヶ月放置)が酷いので、最近はわざわざ本を読むために外出したりしている。昨日もそんな日だった。

持って行った小説は『アーモンド』。

IN THE SOOPでナムさんとシュガが読んでいて、アミの中で話題になった本。今では世界中で沢山読まれているようで。アレキシサイミアの少年の物語なんだけど、妙に読み易くて、興味深くて、久々に時間を忘れて一気に読んだ。

読み終わった今、色んな顔が浮かんでいる。なんだか今の感情を忘れてはいけない気がして、文字にしようと思った。戒めの感情だと思う。

自分という存在を通して、何を与えられるか。どんな器になるのか。そこに何を注ぐか。そもそもそんな偉そうなことを言える立場か。。

読む前に感じていた焦りとか不安とか、人と比べることとか、自分の至らなさとか諸々が、読み終わった後には違う形に昇華されていることに気づく。本は縦に積まれると圧があるけど、1冊を目の前にした場合は、意外と優しいのかもしれない。

この物語の中で、少年がフロムの『愛するということ』を友達に薦める場面があった。私の本棚にもあるんだよな...最初だけパラッと読んだやつが。

ようやく読むべきタイミングが来たのかも。

(という過去の自分への言い訳なのであった。)